学園霊異記第一巻〜プロローグ〜『アマキツネ』
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─物語は、11年前の七夕の夜から始まる。聖帝市の新聞記者、山野光太郎の古びた自宅の縁側では、二人の幼い子供が仲良く並んで夜空を見上げていた・・・・・・。
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200X年、七月七日の夏の夜。
日本中部に位置する地方都市、聖帝市には、サラサラという清流のせせらぎに似た音が響いていた。
各家の軒下に飾られた七夕飾りが夜風に揺れる音である。
その中の一軒。
地元の地方新聞の記者・山野光太郎の古びた自宅の縁側には、浴衣姿の女の子と男の子が並んで座っていた。
女の子─安陪(あべの)やよいは、夜空に広がる光景に目を奪われていた。
やよいの視線の先には、巨大なほうき星・・・・彗星の姿があった。
天を覆い隠すような、大きな大きな彗星である。
彗星の後部には、『ほうき星』の名の由来である薄い霧状の『尾』が伸びていた。
それは、乳白色の透明なヴェールで、白銀煌く天の川にかかり、夜空に神秘的なグラデーションを描いていた。
やよい「─きれいね。コウちゃん」
光一「う、うん・・・・」
光一は、やよいの声に、どきどきしながら返事した。
光一が見とれていたのは、宇宙の神秘に、瞳を輝かせるやよいの横顔だった。
???「(おやおや)」
光一の父親である光太郎は、その様子をはにかみながら見ていた。
光太郎は、手に持った缶ビールをあおると、隣で双眼鏡を覗いている妻のユキコに声をかけた。
光太郎「ユキ、どうだ?よく見えるか?」
ユキコ「すごいわね!尾の向こうに星が透けて・・・・何てきれいなのかしら」
光太郎「そうか。なら、ウチも天体望遠鏡、買えばよかったかな?」
ユキコ「双眼鏡(これ)で充分よ。それに、どこの文房具屋さんに行っても、もう売り切れだったわ」
光太郎「何だ。もったいないとか言って・・・・やっぱり、店に行って来たんじゃないか?」
ユキコ「か、買い物のついでよ・・・!」
この夏の前年、国立天文台は、一個の新天体を発見したと発表した。
それは、太陽系の彼方から地球に接近中の彗星だった。
彗星は、弾丸のように地球の側をかすめ、宇宙の彼方に飛び去って行く『長周期型』の彗星だと予測された。
それは、天を貫く矛のような彗星であり、その事から、
日本神話から名前をとって、『天の火矛(アマノヒボコ)』彗星と名付けられた。
彗星の本体は、岩石と有機物の混じった氷のカタマリである。
その為、太陽系の中心に近づくと、太陽光線にあぶられて本体が溶け出し、霧状の尾を発生させる。
尾の長さは、何と一天文単位(1億5千万q)にも及ぶが、その密度は極めて薄い。
その為、彗星の姿が、はっきり見えるようになるのは、地球にかなり接近してからの事だ。
天文台の発表では、アマノヒボコ彗星の姿が肉眼で見えるようになるのは、七月七日─七夕の夜からと予測された。
七夕。
このつつましくも美しい日本古来の風習が都会の夜から絶えて久しい。
人工の明りに毒された都会の夜空では、真夜中でもない限り、星が綺麗に見える夜はまれになってしまったからだ。
だが、アマノヒボコ彗星の到来は、そんな失われた七夕の風習をよみがえらせた。
人々は、久しぶりに夜空への関心を取り戻したのである。
彗星の到来と合わせて七夕を祝おう。
そんなブームが、日本中にわき起こった。
そして、七夕の当夜。
信心を取り戻した人々への贈り物なのか。
聖帝市の夜空は、素晴らしい快晴に恵まれた。
ユキコ「私、夜空なんて見上げたの何年ぶりかしら?貴方は、学生時代、よく天体観測をしに行ったんでしょう?」
光太郎「大学のサークルでな。九頭龍君たちと火神山の山頂に遠出して、夜通し観測会さ」
『火神山』とは、聖帝市を囲む山の名前だ。
今は、火山活動を絶えて久しい休火山である。
ユキコ「九頭龍アキラさんって、今は雑誌の編集者をしているという貴方のお友達ね?確か古代のナントカって本の・・・・」
光太郎「『アトランティス』っていうオカルト系の読み物さ。
魔術だの謎の古代文明だの・・・いいトシして、まだあんな事信じてやがる」
ユキコ「社会部の記者の貴方としては、事実に則してない怪しげな記事は許せないって訳ね。
でも、貴方にやめさせたい癖なら、私にもあるんだけど?」
光太郎「─とと!」
光太郎は、ビールを慌てて隠した。
ユキコ「そういえば、織姫星と彦星ってどこに見えるの?」
七夕の風習は、中国の星の神話に由来する。
織姫と彦星という逢瀬を禁じられた恋人同士が一年に一度だけ、天の川をはさんで再会を果たすという物語だ。
光太郎「知らない。よく分からないんだ」
ユキコ「外国じゃあベガとアルタイルって呼ぶ星なのよね?」
光太郎「そうだっけ?」
ユキコ「・・・・あなた、本当に天文部にいたの?」
光太郎「俺は、天体観測の時は、ずっとテントの中に引きこもって、宴会してたんだ」
ユキコ「・・・・じゃあ、貴方は何のためにそんなクラブに入っていたのよ?」
光太郎「俺は、橘さんに誘われて入部したんだ。でも、今じゃ彼女、九頭龍君の・・・・・」
ユキコ「タチバナさん?誰よ、それ」
光太郎「・・・あ?!い、いや、何でもない!何でも無いんだ!」
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─その時、縁側に一人の老婆が表れる。老婆は、光一の曾祖母である十野イチコという北陸に住む行者だった。
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???「・・・・・・・縁起の悪い夜じゃ」
光太郎「?」
縁側に、突然、一人の老婆が現れた。
ユキコ「おばあちゃん?」
老婆は、ユキコの祖母で、名前を十野(とおの)イチコと言った。
イチコは、懐から、古ぼけた数珠を取り出した。
奇妙な数珠だった。
修験道の行者が使う、『最多角念珠(いらたかねんじゅ)』と呼ばれる数珠だった。
イチコ「─金毛九尾の妖狐に鞍馬山の魔王尊。天狗(アマキツネ)は災いの元ぞ・・・・ノウ マク サマンダ バザラ ダンカン・・・・!」
ユキコ「─おばあちゃん・・・そのヘンな呪文、やめてよ。子供たちが怖がるわ」
イチコ「・・・・」
光太郎「おばあちゃん、真言(マントラ)ですよね、それ?」
ユキコ「『まんとら』?」
イチコ「・・・・」
光太郎「真言密教で使われる呪言(じゅごん)だよ」
ユキコ「(あれ、マントラっていうの・・・私、子供の頃からおばあちゃんにあれを聞かされる度に怖くて・・・・)」
光太郎「(おばあちゃんは、北陸の田舎で行者をしているんだろう?)」
ユキコ「(高野山とか恐山に毎年、修行に行ってるわ)」
光太郎「彗星は昔の日本では『アマキツネ』といって不吉の象徴とされていたんだよ。
ほら、彗星の尾はキツネのしっぽに見えるだろ?」
ユキコ「貴方、よくそんな事知ってるわね?」
光太郎「昔、九頭龍君に教えて貰ったのを覚えてたんだ」
やよい「・・・・・」
光一「やよいちゃん?」
やよい「(わたし、アレしってる・・・エン・・ノ・・・ギョウジャの『ダラニ』・・・・・)」
ユキコ「─あ・・・・・そ、そうだ!冷蔵庫の中にスイカが冷えてたんだっけ!せっかくだから、縁側でみんなで食べない?」
やよい「ほんと?わたし、スイカだいすき!」
やよいが歓声を上げた。
その表情は、いつもの明るいものに戻っていた。
光太郎「よかったな、やよいちゃん」
ユキコ「じゃあ、少し待っていてね」
イチコ「ユキコ、ワシの分はいらんぞ。水気の多い物を夜中に食べると厠(カワヤ)が近くなるでな」
光太郎「じゃあ、お茶でもいれますよ。ところでおばあちゃん、明日は何時にここを発つんですか?」
イチコ「年寄りの朝は早いでな。8時には駅へ向かおうとおもっとる」
この夏、北国の山奥に引きこもっているイチコが光太郎の家に、わざわざ泊りに来ていたのには理由があった。
聖帝市には、龍星寺という名前の古い寺があるのだが、そこの住職が先日、亡くなったのだ。
イチコは、その葬式に出席する為に、聖帝市へとやって来たのである。
聖帝市の住職と長野のイタコの間に、どんな関係があるのかは光太郎には分からなかったが、密教と修験道の間には、
同じ真言宗の信徒という繋がりがある。
イチコが棲んでいるのは、バスも通わない秘境同然の、苗字と同じ十野村という名前の寒村だ。
イチコにとっては、聖帝市も立派な都会らしい。
街中のホテルに一人で泊まるのは、山の中で鬼に会うより恐ろしい事らしく、孫のユキコのいる光太郎の家に転がり込んで来たのだ。
だが、告別式も済んだ今、イチコは朝を待ってさっさと田舎に戻るつもりだった。
光太郎「おばあちゃん、駅まで僕の車で送らせてください。
折角、お出で下さったのに、何のお構いも出来なかったんですから」
イチコ「礼を言わにゃならんのは、こちらの方です。ワシはタクシーを使いますので、心配いりません」
光太郎「いいんですよ。明日は子供たちを連れて遊園地に行くんです。その行きがけですから」
光一「ぼくたち、おばあちゃんのおみおくりをするの」
イチコ「ありがとうよ。光一」
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─光一の母、ユキコは、光一の不思議な言葉に、何故かひどく腹を立てる。
険悪な空気が流れようとした矢先、イチコの一言が一同の注意をそらす。
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光一「?」
やよい「?」
その時、突然、風も無いのに、七夕飾りの枝が揺れた。
光一「─だれ?そこにだれかいるの?」
光太郎「どうしたんだ、光一?」
光一「おとうさん。おかざりのところに、だれかいるみたい」
光太郎「何?」
だが、光太郎の目には、何も見えない。
光太郎「・・・・・光一、おとうさんには何も見えないぞ?」
ユキコ「光一!そういう事を言って、人を怖がらせるのはやめなさいって言ってるでしょ?!」
山盛りのスイカを盆の上に載せて来たユキコが光一を叱り付けた。
光一「だって・・・」
光太郎「ユキコ?どうしたんだ急に?」
ユキコ「この子、この夏からおかしいのよ」
ユキコ「昼間、公園で遊んでいても、誰かに見張られているような気がするんだって、人に言いふらしてばかりいるの」
光太郎「おい・・・・それは本当なのか?」
実は、ここ数日、彗星と七夕ブームで沸く日本の陽気とは裏腹に、聖帝市では不思議な幼児誘拐事件が頻発していた。、
幼い子供たちが、数人、行方不明になっているのである。
白昼、ふと母親が目を離した隙に宙に溶けてなくなったように子供が消えたという話もあり、街では、『神隠し』ではないか
、と囁かれている程だった。
やよいが光太郎の家にいるのも、その事件と無関係ではなかった。
やよいは、光太郎の勤める新聞社の親会社である安陪出版という出版社の社長の令嬢だ。
社長、安陪シンジの両親であった前社長夫妻が去年、彼の妻もろとも飛行機墜落事故で他界するという事件があり、それ以来、
娘と広い屋敷で二人住まいをしているのだが、彼は一週間前に突然、一人で東京に出張に行くと言い出した。
だが、幼い娘を一人、残して行く訳にはいかない。
そこで、光太郎に、娘を預けて行く事になったのだ。
シンジに言わせれば、顔も知らないホームヘルパーやホテルの従業員に世話をまかせるよりは、
同じ年頃の友達の両親の家に預けた方が信頼出来るのだという。
・・・・妙な話ではあるのだが、上手くこの『仕事』をこなせば社長の覚えもめでたいだろうし、
その為に、光太郎は、一週間もの休暇を与えられたのだ。
記者の仕事は不規則で激しい。
この機会に、家族・・・・・特に普段、疎遠になりがちな光一との時間を過ごせる事は得がたい経験になるだろうと、
光太郎はこの役目を引き受ける事にした。
イチコ「ユキコ、お前だって、光一ぐらいの時は、よく物の怪が見えたと騒いでおったじゃないか」
ユキコ「─おばあちゃん!」
光太郎「モノノケ・・・・・妖怪の事か?」
イチコ「わしら一族は『管狐(クダギツネ)使いの家柄じゃ。光一は特にその力が強いのかも知れん」
ユキコ「・・・・おばあちゃん!」
光太郎「『クダギツネ』・・・・東北地方の伝説に出てくる妖怪の事ですね。
飼いならすと家に繁栄をもたらすという伝説上の生き物・・・・それも友人から聞きました。
『遠野物語』という本に、その話が載っているそうです」
ユキコ「貴方まで、おばあちゃんのおとぎばなしを真にうけないで!そのせいで、私が子供の頃、どれだけ・・・・!」
やよい「ほんとうよ。わたしもかんじるもん」
ユキコ「いいのよ、やよいちゃん。光一をかばわなくても。誰でも子供の頃は、そういう幻覚を見るものなんだから」
光太郎「と、ところで二人は、短冊に何かお願い事でも書いたのか?」
光一「・・・う、うん」
やよい「わたしもかいたよ」
光太郎「へえ。光一は何を書いたんだ?」
光一「え・・・・?!ぼ、ぼくは・・・・・」
光一「その・・・・や」
光一「(や、やよいちゃんとずっと一緒にいられますようにって・・・・)」
光太郎「ん?なんだ光一、聞こえないぞ?」
光一「・・・・う・・・ないしょ」
ユキコ「やよいちゃんは何を書いたの?」
やよい「わたし?わたしはね、『コウちゃんのおよめさんなれますように』っておねがいしたの!」
光一「(!)」
ユキコ「あら」
光太郎「おやおや」
ユキコ「(─ねえ、あなた。そうなれば、光一は将来、あなたの会社の跡取りよ?
あなたも編集局長ぐらいにはなれるんじゃない?)」
光太郎「馬鹿。夢は寝てから見るモンだ」
イチコ「ユキコ、お月様が真っ赤だ」
ユキコ「?」
光太郎「?」
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─一見、平和な時が流れているように思えた聖帝市の七夕の夜。
だが、その平穏は、突然、聞こえて来た消防車のサイレンの音によって破られた。
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光一「?」
イチコの言葉に、二人は天を見上げた。
彗星、満天の天の川。
そればかりに気を取られていたが、そう言えば、今日は満月である。
だが、月の様子は、普段と違っていた。
月は、血のような赤い色に染まっていた。
光太郎「おい・・・・この近くで火事でも起きてるんじゃないのか?」
ユキコ「火事?」
紅く見える月を『緋月』という。
要は夕焼けと同じ現象で、大気の具合や周囲の強い明りのせいで、紅く染まって見える事がある。
光一「!」
やよい「きゃっ!」
一瞬の後、夜の街にけたたましい消防車のサイレンの音が鳴り響いた。
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─平和な時の終わり。
同時に、それは、山野光一の無邪気な子供時代の終わりを告げる事件の始まりでもあった。
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ユキコ「消防署に電話して見るわ!」
ユキコは、携帯電話を取り出し、災害情報に、ダイヤルをプッシュした。
ユキコ「・・・・・・・・・・・・・・」
ユキコ「燃えているのは・・・・・青龍町X−X−Xの住宅ですって」
光太郎「青龍町X−X−Xの住宅・・・・?!九頭龍の家の方角じゃないか?!」
ユキコ「貴方のお友達の?!」
光太郎「俺、アイツの家に行って見る!後は頼んだぞ!」
ユキコ「ダメよ!貴方、お酒飲んでたでしょ?!車の運手は私がするから・・・・・おばあちゃん、二人をお願いね!」
そう言うと、光太郎とユキコは慌てて玄関を飛び出した。
光太郎の車のエンジンがかかる音がしたかと思うと、あっという間に、二人を乗せた自動車は家から離れて行った。
イチコ「・・・・・・」
やよい「・・・コウちゃん・・・わたしこわい・・・・」
光一「だ、だいじょうぶ。ぼくがやよいちゃんをまもってあげるからね。ひるま、こうえんでやくそくしたじゃない」
イチコ「やはり何ぞおこりよったな」
イチコは、彗星に向きなおり、念珠を合わせた。
イチコ「─オン バザラダト バン」
イチコ「(ご本尊様、どうかアマキツネをご成敗下さい・・・・・!)」
がさり、と笹の葉が揺れる音がした。
イチコ「・・・・・・光一?やよいちゃん?」
イチコが目を開けると、さっきまで側にいた筈の光一とやよいの姿が消えていた。
その時である。
イチコの頭上に、急に冷たいものが降って来た。
イチコ「─?」
雨だった。
イチコは、天を見上げた。
だが、雨雲などどこにも見えない。
雨は急に激しさを増し、見る間に豪雨となって、夜の聖帝市に降り注いだ。
イチコには、雨はまるでアマキツネの尾から降ってくるように見えた。
晴れているのに雨が降る。
それを『狐の嫁入り』と言う・・・・・・・・。
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